昨年2022年秋に、夫婦で大分県竹田市を観光した話の続きです。
「荒城の月」で知られる、瀧廉太郎の故郷として有名です。
竹田市の繁華街に入って、ゆかりのある場所を巡りました。
岡城跡
明治維新後に廃城となった、岡城(おかじょう)跡に行きました。
瀧廉太郎が荒城の月の曲の着想を得たとされている城で、廉太郎が生まれた時にはすでに石垣のみとなっていたようです。
岡城の本丸跡は標高325mにあります。
ひたすら登り道でした!
険しい道でしたが、良い景色!
やっと城の玄関、大手門・・・
ここからは、比較的平坦な道です。
太鼓櫓(たいこやぐら)門が見えました!
ここを過ぎれば、本丸跡です。
本丸跡に着きました!
良い景色ですね。
天守があったろうと思われる本丸の神社にお参りをしました。
近くにある、瀧廉太郎像。
幼少期、ここを遊び場にしていたとのことです。
ここからの景色を見ながら、どんなことを考えていたんでしょうか・・・
瀧廉太郎記念館
続いて向かったのは、瀧廉太郎記念館。
12歳から2年間住んだ実家を記念館に改修したそうです。
受付の女性が案内もしてくれました!
瀧廉太郎は、亡くなられましたジャーナリストの筑紫哲也さんの大伯父に当たるとか。系譜図に、名を連ねておられます。
瀧廉太郎は、本邸ではなく、蔵の2階に住んでいたようですね。
15歳で音楽大学に、19歳でドイツに留学するほどの秀才音楽家だったようです。
そう言えば、「お正月」も瀧廉太郎の作曲でしたね。
ドイツでは、作曲家メンデルスゾーンが創設した学校で学んでいたとのことです。その結びつきから、近年になって「メンデルスゾーン」と名付けられたバラが贈呈されたようですね。
このバラ、うちの庭に欲しい・・・
竹田市歴史文化館・由学館
歩いて行ける距離に、竹田市歴史文化館・由学館があります。
瀧廉太郎も含め、竹田市の歴史文化に関する展示物があります。
岡城跡の説明もありますので、竹田市を観光する際には最初に訪れるべき場所かもしれません。
瀧廉太郎記念館からの道中には、廉太郎トンネルというものが。
廉太郎トンネルの中を歩くと『荒城の月』が流れていました。メロディーロードです!
入場料を払えば、特別展示室ちくでん館と隣の旧竹田荘に行けるのですが、時間も時間だったため、諦めることに。
旅行当時はありませんでしたが、今は瀧廉太郎関連の企画展が特別展示室ちくでん館で行われているようですね。
亡くなってから今年の6/29で、120年が経つことを記念するためとのことです。
行ってみたい・・・。
次は宿と夕食について
ついつい、記事が長くなってしまいます。
次の記事では宿泊したホテルと夕食について、書かせていただきます。
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